渋谷の新名店「酒井商会」では、コロナ禍でも変わらずおいしい肴を楽しめる
おもてなしって一体なんだろう。いつもとまったく変わらない様子で目の前にいる酒井くんを見ながら、ふとそう思った。
唐津のぐじを開き、天草の石鯛をおろし、揚げ場の女性に蕗の薹の肉詰めの指示をする。一つひとつのお造りに、それぞれのタレや醤油、ジュレを合わせて行く…。毅然とした動きと、静かで柔らかな語り口、巧みな包丁使い。そのすべてが最後に会った午後と同じだった。
違うのは、厨房が広尾の創和堂ではなく、古巣の酒井商会であること。今、蕗の薹の油切りをしているトミーの髪がゴールドから黒くなったこと、それくらいだ。だからこそ、カウンターに座る僕らは限りなく開放され、平静な思いに包まれることができる。
扉を開けたとたん、ここだけは異空間だった。不謹慎かもしれないが、僕は外の街で起こっていることを、すっかり忘れかけていた。
本来、レストランという言葉は、気力、体力を回復させるという意味のフランス語の動詞restaurer の分詞的形容詞だ。そこは、ただ食事をさせ、酒を飲ませる場所ではない。人をリフレッシュさせ、明日を生きる糧を貰う場所。酒井くんのカウンター前は、その最良の場所のひとつだ。
ここでは泥酔し、飛沫を飛ばしながら語る客などいない。みな静かに、おいしい肴とスタッフたちの接客、いつも変わらない空間を求めてやって来る。
だから、店側も外界の出来事に一喜一憂するのではなく、来てくれたお客さまを平常心でお迎えする。その姿勢は、コロナ禍以前とまったく変わっていない。
それは、コロナ禍の中、2020年7月にひっそりとオープンした新店、創和堂でも同じだ。酒井くんの故郷、九州の食材と玄界灘のサーフボーイならではの毅然とした佇まい。選び抜かれたスタッフたちの機敏な動き、そこは誰もが帰りたくなるもう一つの我が家だ。
「振り返ってみると、(定休日以外)ウチって1日も休業しなかったなって、最近気づいたんです。たとえ1日1組でもお客さんをお迎えしたかったし、必要以上にコロナに振り回されたくなかった」
もちろん、昨年の緊急事態宣言の中で時短営業に踏み切ったこともあった。しかし、客たちはみな、18時や19時まで、通常の時間帯で働いている。仕事が終わったとたんに急いで駆けつけ、みんなが一気にオーダーして、接客の余裕もないままに慌ただしく料理を出し、そのまま閉店の時間を迎える。
「何やってんだろう、俺」、ちっとも楽しくなかった。自分が本当にやりたかったことは、こんなことだったのか!?
スタッフたちの気持ちはどうだろう?聞いてみると、みんなも同じ気持ちだった。3月3日、「3/8からの営業時間」とSNSで発表される。黒字にクリーム色の文字の穏やかな画面、でも、そこには開店以来、いつもトップを走り続けてきた店の静かな決意と覚悟が溢れていた。酒井商会は16時から、創和堂は17時から、終了は開店当時とほぼ同じ、通常営業だ。
緊急事態宣言が終息するのか、延長されるのか今はまだ分からない。ただ飲食店への時短要請は未だ続いて行くだろう。しかし、もう一度考えて欲しい。とうとう禁酒令まで罷り通った都市の街角で困り果てているのは、飲食店や生産者側ばかりではない。1日真っ当に働き、帰路に着く少し前に、本来の自分を取り戻すための僅かな時間を奪われた勤め人たちも、今静かに悲鳴をあげている。
コロナ以降、人々の外食に対する思いは大きく変革するかもしれない。予約困難店への電話に躍起になったり、流行りの店を食べ歩く人たちも減少するだろう。しかし、いつも少しずつ変わり続けながら、変わらない平常心で仕事に臨む料理人たちは、きっと明日もそこに立っているだろう。
酒井商会
東京都渋谷区渋谷3-6-18 荻津ビル2階
TEL: 070-4470-7621
創和堂
東京都渋谷区広尾1-12-15リバーサイドビル1階
TEL:080-8040-4822